【I=イアン・トーマス・アッシュ監督/P=ピーター・バラカンさん/Q=質問者】
P:
こんにちは。
一番、最初にイアンに会ったのは何がきっかけだったっけ。連絡くれましたよね。
I:
はい。
友達がこの映画をぜひ観てもらいたいと紹介していただきました。去年の夏ぐらいですね。
P:
この映画を観て、衝撃というか、もちろん知っていることもいろいろあったけど、子供たちがこういう影響を受けているということはTVでは出てこない話なので、とても興味をもちました。
3.11からもう3年以上経ったんだけど、ますます最近メディアに出てこない、いまだに福島の原発で汚染水がまた海に流されるとか、英字新聞では出てくるんだけど、日本のメディアではあんまり聞こえてこない話なんですよね。メディアの問題がいろいろあるなと常常感じています。イアンはこの映画は日本では公開されないと思っていたでしょ?
I: 何も根拠がないんですが、なかなか公開されないだろうなと思って、最初に外国の映画祭に出させてもらって、賞をいただいたら逆輸入できるかなと思って、去年の6月にドイツで賞をもらって、その後日本でも数回上映していただくことができました。
P: 今まで24の映画祭で映画が上映されたんですよね。外国の反応はどうでしたか?
I: 僕の日本語がナマっているのは分からないので、日本人が作っていると思っていたみたいです。上映後に僕が出て行って、初めて外国人が作った映画だと分かったみたいです。
P: 僕が最近この映画の話を知人としていたら、その人は3.11以降この子供達の甲状腺の検査が頻繁に行われるようになったから、そうでなければ発見されないようなケースもたくさん発見されていて、中には小さいものに関しては一生発見されない程のものも発見されているという話だったんですね。イアンはそのことに関してどう思います?
I: そうかもしれない。そうであっても調べるべきで、完全に問題だと分かってから子供たちを守るんじゃなくて、問題かどうか分からないからこそ、子供たちを守ってから調べるべきじゃないですか。10年後に子供たちを守るために努力とお金を使いすぎたっていう後悔の方がいいんじゃないでしょうか。
P: チェルノブイリの場合は、内部被曝、特に汚染された牛乳を子供たちが飲んだから、問題があれだけ大きくなったんじゃないかと言われています。福島の場合は、今はどうなんでしょう。
I: 除染すれば外で遊べるって言うのですが、除染しましたっていうことにすることで、被爆する人たちが増えるんですね。家は除染しましたってことにしても、風が吹いたり、雨が降ると、また、汚染するんですね。後は、除染する人たちも被曝しますよね。
P: 映画の中で26歳の若い男が雨樋を拭いているってシーンがショッキングですよね。あの人の命はどんなものか、観ていて心配になってしまいます。
I: しかも、彼は自分の未来のためにこの仕事をやってるんですね。お金を貯めてまた学校に行きたいと言ってました。
P: 除染ってのは果たしてどこまで可能なのか。学校の敷地内で遊べるって判断はされているけど、風は吹くし、雨は降るし、しかも学校の一歩外に出るとまた全然状況は違うんですよね。
I: 学校は最優先だったのですが、その隣の田んぼとかすぐにやらず、そのうちやり始めるんだけど、そうするとホコリが立ちます。子供たちは除染された場所で遊ぶけれど、その周りを除染すると、そのホコリが風で吹いてくるのです。本来は全員を避難させて除染した後に戻すのが望ましいです。放射能を動かすより、人間を動かす方がいいと思います。
P: 子供たちはすごく淡々とあっけらかんと自分のことを語るんですよね。例えば、放射能で汚染されているから滑り台で遊べない、とか当たり前のように話すし、映画の後半の方では、自分はあんまり長生きができないだろうって、淡々と話すのが衝撃的でしたね。本当に子供たちは、しょうがないよねってそう思っているのかな。子供たちも時々悲しくなったり、泣いたりってこともありました?
I: もちろん。僕もどこまで分かっているか分からないんですが、大人さえ理解できてないのに、5歳の子供たちは放射能に汚染されているということを意味が分かって言っているのか、先生に言われたことを言っているのか
P: 言われたことをただ繰り返しているだけかもしれないですね
I: でも、長生きできないって語っていた子供たちは、たぶん考えていると思います。
P: 僕は福島に何度も足を運んでいるわけではないけれど、3.11のほぼ1年後に福島に仕事で行ったんですね。JRの駅を降りたところにモニタリングポストがあって放射能の値がデジタルで出ていて、仕事の会場まで駅から車で1時間の間に、役所だったり学校だったり、いろいろなところにもモニタリングポストがあって、場所によって数字の開きがかなりあった。駅前はわりに高くて東京の10倍ぐらいあったと思います。それに比べて高かったり低かったり、1時間走るだけでもこんなに違うんだと思いました。1泊しただけでも、そうかと思ったのは、福島の人たちは、毎日毎日この数字を見ていると麻痺するだろうなって。数字が意味を持たなくなると。危ないとは分かっていても、自分がそこで生活をしなくてはならない場で、数字をストレスにしてしまうと、またそのストレスの病気になるかもしれない。
I: そうです。なので、この映画に出てくる鼻血とかはストレスと言われているのですが、そうかもしれないです。何割が放射能で、何割がストレスかは分からないです。
P: 郡山で集団疎開の訴訟がありましたよね。裁判所で却下され、控訴した仙台の地方裁判所でも却下されて、でも確かに裁判官はこの環境は子供たちの健康によくない、しかし集団疎開はさせない、という分からない判断をしたのですが、それに関して知っていますか?
I: はい、この映画はその裁判の証拠として使用されました。安全な環境で教育を受ける権利はあるけれど、学校に行っても行かなくても郡山全体が汚染されているから、学校の責任ではない、ということだったと思います。分からないですよね。
P:
そういう屁理屈がまかり通るのが、とても残念なことです。
この映画をメディアで取り上げてもらうのは難しいでしょうか?僕の経験では、テレビやラジオで放射能とか原発の話をしようとすると、一方的な話はダメだと。ちゃんと反対意見を取り入れた中立公正の構成じゃないといけないと、よく言われたことがあるんですね。一方的な報道を日本のメディアは許さないと言われるんです。しかしニュースを見ていると、政府の発表だけを一方的に流していることが多いですよね。
それも同じようにバランスが取れていないものだから、たまには反対の意見を一方的に取り上げても全体的にバランスが取れるんじゃないかなと思うんです。
I:
僕もそう思うんです。この映画はお母さん達だけの話かもしれませんが、お母さん達の話はなかなか聞けないことだから、安全だっていう情報がいっぱいある中で、たまにそうじゃないかもって意見があってもいいんじゃないと思います。
ピーターさんは自由に話されますか?
P:
自由に話しますよ。ただ朝の音楽番組なので、聞いている方たちが滅入らないように、たまにビシっと言いますが、普段は楽しく音楽を流してます。ただ、報道番組はいまだに放射能に対してタブーがあると僕は正直思います。3.11以前は明らかにタブーでした。これは電力会社がメディアの最大のスポンサーだったことはご存知でしょうか?日本の電力会社は競争相手がいないんですよね。独占企業。東電のライバルっていないんです。東京の人たちは東電と契約する以外に電気を使う途はないんです。ということは、東電は広告を打つ必要はないんです。にも関わらず、3.11以前はアニメのCMがたくさん流れていました。まさに子供だまし、洗脳ですね。繰り返し見ているうちに、原子力発電が安全だと思い込んでしまう。疑いもしない。
電力会社に限らず、広告をもらっているとメディアでは広告主の会社に対して不利益につながるような否定的なことは一切言わない。これは、しょうがないよね。お金をもらっているんだから批判はできない。それが果たして健全なメディアなのか。これは日本に限らず、世界的なことだと思いますけど。自分がメディアとどう付き合うか、っていうことを考えるときに、そういうことを少し思い出した方がいいと僕は思います。
Q1: 撮影する際の責任とか大切にされていたことはありますか?
I: できるだけお母さんたちと子供たちの声を聞いていただくために、その上に僕のナレーションやこういう風に考えて欲しいという方向性は入れない。音楽でごまかさない。本当は砂糖やハチミツをいれると食べやすくなりますが、素の味を食べてほしかったので、フィルムメイカーの仕事は、こんなにできるよってことではなく、聞かせていただいたお話をそのまま皆様に聞いていただくってことだと思います。
P: 子供たちもお母さんたちもすごく自然体で話してますよね。映画でもテレビでも、カメラがあって、マイクロフォンがあって、照明があって、そういう状況の中で自然にふるまうのって意外に難しいことだと。
I: 無理です。だからテレビドキュメンタリーを見ると全部嘘っぽい、全部やらせに見える。だから、僕のポリシーは三脚を使わない。照明は使わない、マイクも使わない。マイクを付けることによって緊張される。もう、それだけで変わるから。
P: じゃあ、カメラマイクだけで撮ってるんだ。
I: はい。終わってからスタジオに入って直します。ジャンプカットも使いません。インタビューの最初と最後を使いたい時に、間にその人の手を写して編集してないように見せるためのゴマかしなどはしてないです。
Q2: この映画は外国人の方ではないと撮れなかった映画だと思うのですが、その点はどう思われますか?
I:
外国人が撮ったということで、ワンクッション置いて、安心していいよって思われるのは困る。安心させるために、外国人が撮った、問題ないっていうのは困ります。
映像を作るときに、いつも子供に目が行くのですが、前作「グレイゾーンの中」もそうでした。ただ、僕は子供と思っていません。子供たちは自分の人生において兄弟として付き合っています。だからインタビューする時に、上から聞くんではなく、普通に小さい人間として遊んで聞いて、質問します。
P: そういう意味では、外国人の目線ってあると思うんですね。子供に対して媚びない。普通に人間同士として付き合うっていうのは、日本ではあんまり見かけないですね。子供が相手だと「いい子ねぇ」みたいな、言葉使いもそうだし、媚びた感じになりがちだと思います。子供も、もちろんそれに対して違う反応を示すと思う。だからイアンの映画で子供たちがあれだけ自然体に答えているってことは、イアンがそういう接し方をしているからではないかなと感じました。
I: 確かにテレビのレポーターが「おいしい?」と聞くと「うん」しか言えないって思うので、「何してるの?」って僕は聞きます。
Q3: 団体名やグループ名、その関係性が映画にはクレジットされないのですが、個人の状況だけを見せようと思われたのですか?
I: 普通の映画はその人の名前と年齢とお医者さんとかだったりが出てくると思うのですが、それを出すことによって、見る方がいろいろ決めちゃうんですね。この人はどこどこ病院の先生なんでちゃんと勉強された方だから聞きます。でもこの人はただの主婦だから聞かないとか。自然に決めちゃうので、できるだけ、それができないようにしたかったのです。その人が考えていることだけを伝えたかったのです。例えば地図を持って、もっと怒っていいって泣いているお二人のシーンは、1時間ほど別の取材をしていて、取材が終わってカメラを回し続けていたら、自然に二人がお互いに話をしたものです。僕はカメラの後ろにいただけでした。二人はあるグループのメンバーでその取材をしたのですが、あの話はグループも場所も関係なく、ふたりの間に自然に生まれたものなので、団体名は入れませんでした。そのグループやメンバーを出すのは違うと思いました。